ありがとう、そしてお疲れ様…。

2週間ほど前の話になるが、先日発売された「アマチュア野球vol.26」(日刊スポーツ出版社)に、昨季限りで休部となった日産自動車の選手の転籍先が掲載された。
昨夏の都市対抗での力投が記憶に残るエース・石田(東京国際大)は住友金属鹿島、リリーフで活躍した左腕・秋葉(国士舘大)はJR東海、昨秋のドラフト候補にも名前が挙がった熊代(今治西)は王子製紙と、計14人の選手が新天地へ旅立つこととなったが、一方でリストに名前が挙がらなかった選手は現役を引退して社業に専念ということになる。名前が載っていなかった選手では、主砲・小山(東洋大)、内野の要・四之宮(青山学院大)ら、ベテラン勢の名前が載っていなかった。なかでも「まだやれたんじゃないか?」と思ってしまったのが主将としてチームを引っ張ってきた吉浦(熊本工)のことだ。
日産が2度目の都市対抗優勝を果たした1998年(平成10年)に入社、3年目の2000年(平成12年)に東京スポニチ大会で最優秀選手賞を獲得して頭角を現すと、ドラフト候補にも名前を挙げられるようになり、以後は主に3番打者として活躍。また、日本代表でも中心打者として活躍し、2003年(平成15年)のIBAFワールドカップでは5本塁打を放って日本人選手として初めて大会最優秀選手賞に輝くなど、社会人野球を代表する好打者の1人として長年に亘って活躍してきた。
私個人の思い出としては、初めて見た日産の試合(2004年第75回都市対抗野球大会1回戦、狭山市・ホンダ戦)で最後の打者になってしまったこと、翌2005年の都市対抗では、2回戦の大阪市NTT西日本戦で本塁打を放ったこと、その翌年の都市対抗1回戦、太田市富士重工業戦でチーム唯一の安打となる先制のツーランを右翼席に叩き込んだことが思い出される。そしていつもチームの中心にいたのは吉浦さんだった。
これだけの実績を誇る方だけに、30歳での現役引退は早すぎると思うが(転籍希望をすれば獲得に名乗りを挙げる会社もあったと思う)、そこは本人の人生だし、我々外野が口を出すことではないと思う。
吉浦さん、12年間の現役生活お疲れ様でした。またどこかで、そして日産野球部復活の暁には、指導者としてまたグラウンドに戻ってきてくれることをお待ちしております。

2月1日追記。三菱重工横浜野球部のファンで、「Baseball Weekend」管理人でいらっしゃるSATOH様から、本日2月1日付で松井崇純外野手が三菱重工横浜へ転籍という情報を頂きました(リンク先参照)。情報提供ありがとうございます。