ラビッツクラシックレポート〜その4〜

余談
ところで、この試合中製氷車の調子がおかしかった。試合開始前の練習終了後に入った際は、まだリンクに残っていたパックを危うく吸い取りそうになって一度引き上げ、第1ピリオド終了後には製氷作業中、氷を削り取る部分を上昇させてリンクにアイスダストを吐き出す、という前代未聞の光景を目にしてしまうわ、ほんとにこの先試合が行えるのか?と思いたくなった。

泰平の眠りを覚ます…
いよいよ雌雄を決する第3ピリオドが始まった…のだが、この辺りから昼食を食べ過ぎた効果(?)で、不覚にも眠気が…。
だが、その眠気を一気に吹き飛ばしたのは大歓声でした。開始僅か2分半、田中(父は元雪印の誠二郎氏)のパスを受けた小原が逆転のゴール!まだ始まって間もないこの時間帯に勝ち越しを許したのは大激痛!
さらにその3分後、今度はSEIBU・パワープレーの場面で、田中、佐藤とつないで、最後は今が決めて2点差に。まだ15分あるとはいえ、相手はリーグ屈指のディフェンスを誇るSEIBU、そしてSEIBU最後の砦である菊地尚哉。追撃の一発を入れるのは、相当至難な業だと思った。

タダでは終わらない
だが、思わぬ形でチャンスはやってきた。
11分、王子は高橋がスラッシング(相手をスティックで叩いて動きを妨害すること)の反則で2分間退場。リードされていて、しかも第3ピリオドという場面でこの反則はあまりにも痛い。
ところがその21秒後、SEIBUは大久保がインターフェアランス(パックを持っていない選手を妨害すること)で2分間の退場に。さらにその後16秒後には山口もインターフェアランスで退場となり、一気に王子のパワープレーに。このチャンスを王子はSEIBU陣内でセットしてパックを回し、ブルーライン近くから川島が強烈なシュート!これが菊地の防御を掻い潜り、見事ゴール!1点差となり、王子ベンチも盛り上がる。
しかし、この後は攻めれども攻めれども、SEIBUディフェンス陣が立ち塞がって得点することが出来ない。逆にSEIBUはチェックして王子からパックを奪い、王子陣内に攻め込むシーンが目立ち始めた。こうした攻防が繰り広げられている間も、残り試合時間は刻々と減っていく…。

6人攻撃
試合時間が1分半を切った頃、王子がタイムアウト。選手達に最後の指示を与える。と同時に我々の焦点は「いったいどこで6人攻撃を仕掛けるか?」に移る。
アイスホッケーでは競った展開の時、それも第3ピリオドの終盤にGKをベンチに引き上げさせ、代わりにFWの選手を1人入れる「6人攻撃」を仕掛けることがある。もちろん、動ける選手が1人多いから得点できる確率は上がるが、同時にゴールを空にしているからそこを突かれて点を入れられてしまうこともある、まさに「両刃の剣」なのだ。
王子陣内で再開のフェイスオフ。だが、パックをSEIBUに奪われなかなか攻めに転ずることが出来ない。
残り1分を切った頃、ようやくパックを自陣から出すと同時に春名がベンチに上がる!6人攻撃だ!!この直後にSEIBUにエンプティゴールを狙われるも、レッドライン手前から放たれたパックはゴールを割らず、ゴールクリーズから数センチそれてゴールラインを割りアイシング(センターラインの手前から放たれたパックが誰にも触れずゴールラインを割った場合、自動的にアイシングとなり、パックを出した側のパックを出したサイドにあるエンドスポットでのフェイスオフとなる。ただし、アイシングにならないケースもある)に。SEIBU陣内でのフェイスオフとなる。
王子にとってはこの試合最後のチャンスとなるかも知れないこの場面、王子はパス回しから積極的にゴールを狙うも、パックはSEIBUゴールを嫌い、逆に試合終了間際にパックをニュートラルゾーンに戻されてしまっては万事休した。
試合終了。今季レギュラーリーグ最後のSEIBU対王子戦は4−3でSEIBUが逃げ切り、廃部発表後初となるホームリンクでの試合を見事に勝利で飾った。
ちなみに、1966年(昭和41年)の第1回日本リーグから西武鉄道最後のシーズンとなった2002年(平成14年)の第37回リーグまで行われた西武鉄道王子製紙の対戦成績は、王子の102勝19引分64敗、1972年(昭和47年)の第7回リーグから始まったコクド対王子の対戦成績は、2003年(平成15年)の第38回リーグまでの対戦成績は王子の79勝28引分73敗、2003年から始まったアジアリーグでの対戦成績(2006‐2007シーズンからSEIBUプリンスラビッツ)はラビッツの16勝7引分9敗である。

Good Bye Ryan…
試合終了後、ダイドードリンコ賞(東伏見アイスアリーナダイドードリンコネーミングライツを行っているため、その試合で一番の活躍を見せた選手にダイドーのMIUが贈られる)がSEIBU・菊地に贈られ、ラビッツチアリーダーズによる勝利の舞が行われた後、いよいよ本日最後のイベント、今季限りでの現役引退を表明した“ライアン”藤田キヨシの引退発表セレモニーだ。
1994年(平成6年)、日本アイスホッケー界が4年後の長野冬季五輪を目指し、その強化策の一環として日系人選手の登録を解禁すると同時に西武鉄道からデビュー。その年の日本リーグで25得点を挙げ、いきなり得点王に輝くと、その後は西武、コクド、ラビッツの中心FWとして活躍。1997年(平成9年)に日本へ帰化し、日系カナダ人「ライアン・フジタ」から日本人「藤田キヨシ」となり、1998年(平成10年)に長野冬季五輪出場など、輝かしい実績を残した藤田。その存在感は味方にとって頼もしく、敵にとっては脅威だった。
西武鉄道時代から苦楽を共にしてきた栗林用具マネージャーの通訳で行われた引退スピーチ。スタッフ、チームメート、家族、そして我々ファンへの感謝の言葉、そして最後に語った、東伏見からアイスホッケーの灯が消えようとしていることへの思い…。ちょっとだけ目に熱いものを覚えました。
そしてその後の場内一周とチームメートによる胴上げ。本当にお疲れ様でした。
こうしてラビッツクラシックは幕を閉じた。この後私はリンク前の出店でたこ焼きを食べ、運転を再開した西武新宿線と山手線を乗り継いで渋谷に出て、Bトレインショーティーパート14をばら買いして帰宅しました。

あ、そうだ。帰る途中、中井駅の通過線にスマイルトレインが止まっていたんですけど、故障した電車ってこれのことだったんですかね?