応援しているチームが無くなる、ということ〜Part1〜

・ある日突然…
応援している対象が無くなったら、あなたはどうしますか?


「冗談だろ?」
日産自動車が今年2月、世界同時不況の影響を受け、「コアビジネスに集中する」という理由で企業スポーツ活動(硬式野球、男子卓球、陸上)の休止を発表した際、社会人野球ファンの誰もがそう思ったに違いない。
日産はちょうど10年前、2兆円あまりの有利子債務を抱えたことに端を発したルノーとの資本提携と大規模なリストラ策を行った際に野球部の存続が危ぶまれたが、その際に都市対抗野球本大会を観戦し、社員の応援する姿に心打たれたカルロス・ゴーンCEOの「都市対抗野球は日本の企業文化の象徴」という一言で存続が決まった経緯がある(債務は2003年6月に完済)。それだけに衝撃は大きく、昨年の三菱ふそう川崎に続く名門チームの活動休止に関係者の誰もが「あの日産が…」とショックを隠せなかった(その数日後にTDKも、2006年の都市対抗を制した秋田県にかほ市の本社チームと長野県佐久市に本拠地を置く千曲川の両チームを統合するというショッキングな発表をした。まるで日産の休部発表が引き金になったかの如く)。
そしてこの一報は自分にとってもショックだった。当時はSEIBUプリンスラビッツの廃部問題で、日本アイスホッケー界の将来が不安視されていた時期と重なったこともあったが、最も大きく支配したのは次の思いだった。
「応援しているチーム(王子イーグルス)のライバルが無くなろうとしているというのに(ただし、この時はラビッツの受け入れ先を探すという話が出ていた)、今度は自分が応援しているチームが無くなるのか!?
私と日産自動車野球部の出会いは9年前、高校1年の時のことだ。ちょうど通っていた高校の吹奏楽部に所属していた自分が、OBの先輩と話しているうち、その先輩が夏は日産自動車の応援の手伝いに行っていたという話になり、自然と日産野球部の動向に注目することになったのだ。
その後「野球小僧」(白夜書房)を読むようになってドラフト候補に名前が挙がっている選手の知識が入るようになり、「報知高校野球」(報知新聞社)や「大学野球」(ベースボールマガジン社)、さらに「GRAND SLAM」(小学館)を購入するようになるとアマチュア野球そのものに興味対象が移り、「いったいどんな世界なんだ」と期待を膨らませることとなる。
初めての都市対抗野球観戦は大学2年の時。もちろん目的は日産の応援である。結果はこの大会で準優勝することになる狭山市・ホンダ(当時)に0-3で敗退。だが、この時は敗戦の悔しさよりも、話に聞いていたホンダの応援の圧倒的パワーに魅了されてしまった。「応援の力って凄いな」と。以来、毎年都市対抗の予選が近づくと胸が沸き躍り、毎年のようにスタンドに足を運び、団扇を打ち鳴らして声を嗄らしている自分がそこにいたのである。
そんなきっかけを与えてくれたチームの突然の休部。しばらくは「応援しているチームが無くなるって、こういうことなんだな…」と思うしかなかった。

・神奈川の厳しさ

その後6月に都市対抗二次予選が始まるまで、自分は殆ど社会人野球の試合結果を入れていない。仕事でドタバタしていたせいもあったし、それ以上に大きかったのは会社側が野球部HPの更新を止めてしまったため、日産の情報が全く入ってこなくなってしまったこともある(せめて最後まで責任を果たして欲しかった…)。
そして迎えた都市対抗二次予選、日産は横浜ベイブルース新日本石油ENEOSを下して第1代表決定戦へ進出。だが、そこからが茨の道だった。
三菱重工横浜との第1代表決定戦、仕事帰りに観に行ったこの試合は今まで観てきた試合の中で一番の死闘と言えるものだった。横浜スタジアムに着いた時は7回に突入した時。しかも得点はスコアレス。「まあ、そのうち点が入るだろう」と気楽な思いで応援に参加する。だが、このあと試合は意外な展開に進んでいくことになる。
7回、日産は二死満塁と絶好のチャンスを迎えるが、ジャパンの経験もあるベテラン・四之宮(青山学院大)が捕邪飛に倒れ無得点。8回も両チーム共に得点を挙げられず、次第にスタジアムに重い空気が広がり始める。そして9回、両チーム共に得点を挙げることが出来ず、ついに試合は延長戦に突入。延長に入り、日産は二度の無死満塁の大チャンスを掴むも、リリーフで登板した三菱横浜の左腕・亀川(法政大)が粘りの投球を見せて凌ぐ。一方の三菱横浜も11回、二死一、二塁と得点圏に走者を置いた場面で、膝の故障のためスタメンから外れていた大砲・渡部(東海大)が代打で登場。相手側スタンドは過去に幾多の修羅場を経験しているベテランの登場に大盛り上がり、かたやこちらは心臓が破裂しそうな思いで状況を見つめる中、渡部を抑えた時は日産スタンドから安堵の声が上がった。
三菱横浜は12回にも一死一、二塁と一打サヨナラのチャンスを掴むが、右翼・村上(日本体育大)の好プレーでゲッツーを取ってピンチを脱する。さすがにこの辺りになると、応援しているこちらも疲れの色が見えてくる。そして午後10時、規定により「楽器、マイクの音出し禁止(まあ、プロでもそうなりますよね)」となり、「皆さんの声援だけが頼りです!(社会人野球の応援で、応援団が守備中に良く使うコールの一つ)」という状況に。攻撃中は「突撃」「コール」ダッシュ」(3曲とも慶應の応援)を口ラッパで叫ぶという、吹奏楽部のいない高校野球の応援風景が展開されたのである。
だが、我々がどれだけ叫ぼうと、日産に点が入らない。逆に日産もこの後サヨナラのピンチをほぼ毎回のように迎えるが、10回途中からマウンドに上がる日産の2番手・秋葉(国士舘大)が三菱横浜の4番・田城(松山聖陵)を2度敬遠して後続を打ち取りピンチを凌ぐという展開が続く。
結局両チームチャンスは作っても得点までに至らず、午後11時過ぎ、16回を終えたところで試合時間が5時間を超えたため、ついにスコアレスドローに。野球観戦人生初の引分け再試合、そして野球観戦に行って初めて帰宅が日付を跨ぐという事態(次の日が代休で良かった)である。だが、この時は分かっていなかった。「あと1勝」を挙げるのがどれほど大変かということに…。

Part2へ続きます。