応援しているチームが無くなる、ということ〜Part2〜

Part1はこちら

・上り坂、下り坂、まさか…

迎えた翌日の再試合、この日は代休を事前申請していたので大学野球選手権をTV観戦してから出発、試合開始1時間前には横浜スタジアムの一塁側スタンドに。
この日も第1代表決定戦らしい、激闘となった。そして最後に誰もが信じられない結末が待っていた…。
2回、日産は二死満塁から9番・松井(別府大)の中前適時打で2点を先制。ついに均衡が破れる。三菱横浜もその裏に1点を返すが、日産の先発・林(奈良産大)がそのあとを締めてリードを保ったまま中盤へ。
ところが6回、林が捕まって無死満塁のピンチを残して降板。2番手の太田(一関学院。来季から日本製紙石巻へ転籍予定)が6番・後藤(樟南)、7番・高安(慶應大)を連続三振に切ってピンチを脱したかに思われたが、8番・本間(横浜商)にぶつけてしまい、同点に。
7回、日産は前日の引分け試合に先発し、10回途中まで0点に抑えているエース・石田(東京国際大。来季から住友金属鹿島に転籍予定)を投入し、三菱横浜の攻撃を断ち切ると、8回、2番・四之宮の右中間への適時打で再勝ち越し。なおも追加点が欲しいところで2連続四球で満塁のチャンスを作ったが、5番・沢田(山梨学院大)が一塁ゴロ本塁併殺で突き放せず。それにしても前夜からこんな展開ばっかりだなあ…。
その裏、なんとかこの回を抑えて第1代表に前進したいところだったが、一死三塁から高安がスリーバント・スクイズを敢行!最後の夏を何としてもドームで迎えたい日産だが、三菱横浜にも13年ぶりの東京ドームがかかったこの一戦。勝利への執念である。それにしても、何としぶとい…。
9回は両チーム共に得点を挙げることが出来ず、ついに2試合連続の延長戦へ。そして、その時は来た…。
10回、日産は9回途中からマウンドに上がった秋葉が簡単に二死を取る。「また、果てしない延長戦か」と誰もが思ったその刹那、秋葉が制球を乱し、5番・瀧(諒。日大三)に死球、後藤にも四球を与えて一、二塁のピンチ。そして、同点スクイズの高安。
「昨日も何度も同じ様な場面を凌いできたじゃないか。大丈夫、絶対抑えられる!」そう思って見つめる中、高安の打球は三塁手・伊藤(福井工大)の下へ。「よし!」と思った次の瞬間だった…。
「あっ!」と思わず声を挙げていた。名手・伊藤がまさかの後逸!打球がグラウンドを点々とする間に二塁走者が生還。それと同時に三塁側スタンドから一斉に放り込まれる五色のテープ。
目の前で喜びを爆発させる三菱横浜の選手たちをしばらく呆然と見た後に社歌斉唱、そしてエール交換。長い2日間がようやく終わった…。
マチュア野球観戦を始めて7年程になりますが、今まで見てきた試合の中でも1、2を争う好ゲーム。そして、幕切れ度合いでは一番の幕切れとなった試合となったと思います。両チームの選手の皆さん、関係者の皆さん、あの時は本当にお疲れ様でした。
2日後、新日本石油ENEOSとの第2代表決定戦は、投手陣が大炎上。打線もENEOSの沼尾(文星芸大付)、大川(立教大)を攻略しきれず、3-14で大敗。まるで2日間の激闘で燃え尽きてしまったかのような展開、しかも第3代表決定戦の相手は、あまり相性が良いとは思えない東芝が相手と「千葉マリン(関東二次予選の会場)経由か?」というパターンを描くも、日産ナインは最後の最後で意地を見せてくれた。石田の好投と、長年主軸を打ってきた主将・吉浦(熊本工)の一発などで4-2で勝利。この日はスタンドに行くことは出来なかったものの、代表決定を知った瞬間は「これでドームだ!」と安堵したのだった。
それからの東京ドームでの戦いぶりは承知の通りである。8月22日、石田が虎の子の1点リードを守りぬく好投でJR東日本東北に勝って2006年以来の東京ドームでの勝利(その時の様子はこちら)。28日、大阪ガス相手にタイ・ブレークまで縺れ込む激闘となり、1点リードされて迎えた延長11回、四之宮のサヨナラ打で3年ぶりにベスト8へ。30日、99年、2000年と連続で破れたヤマハ相手に主砲・小山(東洋大)の一発と石田、秋葉のリレーで完封勝ち。そして31日、トヨタ自動車・二葉(PL学園)に手痛い一発を浴びて無念のベスト4敗退―。しかし、横浜スタジアム、東京ドームで声を嗄らして声援を送ったこと、そして最後まで諦めず、粘り強い戦いを見せてくれた日産ナインの姿を私は忘れない。