第63回秋季関東地区高等学校野球大会観戦記

はじめに
10月某日、10月24日以降のシフトが上がってきて、スケジュールを確認していると、11月3日が非番日に当たっている事が判明した。その日は高校野球の秋季関東大会の決勝が大宮で行われる予定である。そこで迷わず予定を入れた(この時はまだ東京六大学があんなことになるとは予想もしていなかった)。
ところが、関東大会開幕日の10月31日、台風の影響で関東地方は雨となり、大会は1日順延。31日は無事に開会式と1回戦3試合が行われたが、翌11月1日未明に降った雨の影響でグラウンドコンディションが不良となったため、大会はさらに1日順延となり、3日に行われる試合は準々決勝となってしまった。しかし、準々決勝は勝てば翌年のセンバツへの出場がほぼ確実となる一戦である。また、敗れた高校によっては他校の結果次第で選出される可能性もあるので大いに注目される一戦となる。そして3日当日、無事に晴天となったので自分は今回の舞台である埼玉県営大宮公園野球場へ向かったのであった。
第1試合〜2試合連続の綱渡り〜
この日の県営大宮球場の第1試合は、横浜(神奈川1位)と霞ヶ浦(茨城2位)の対戦である。
横浜は高崎商(群馬2位)との1回戦で7-0とコールド寸前まで行きながら、そこから1年生左腕の山内が乱れ、終わってみれば7-6という結果に。スタメンの1年が占めているということもあったのだろうが、横高らしさを感じない一戦となっただけに、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
霞ヶ浦は伊藤、横浜は1回戦の終盤につかまった山内である。
2回、横浜は四番・樋口が中堅前へはじき返すと、五番・橋本が投前犠打で送り、二死後七番・拝崎が右翼へ適時二塁打を放って1点を先制、続く高橋も左翼への適時打を放ち2点目を入れた。
さらに横浜は4回、一死後拝崎の投飛を伊藤が落球、二死後九番・青木が右翼前へ運んで二死一、三塁。ここで一番・乙坂が三遊間を破ってさらに1点を追加。この後二番・伊達が三塁前へセーフティバント(2打席連続)で出塁し、二死満塁のチャンスを作ったが、ここは霞ケ浦・野村が三番・近藤を中飛に抑え、ピンチを凌いだ。
6回、霞ヶ浦は投手を石橋に替えてきたが、先頭の拝崎が四球で出塁、高橋が送り、青木の右翼前安打で一死一、三塁。ここで乙坂が四球で出塁し一死満塁となり、伊達の一塁ゴロは本塁封殺となったが、近藤が左中間を破る走者一掃の三塁打を放ってこの時点で6-0に。この時点では横浜の圧勝ペースだった。
ところがその裏、霞ヶ浦は先頭の二番・森田が左翼への安打で出塁すると一死後四番・笹島の右翼線への安打で一、三塁のチャンス。ここで五番・吾妻(あずま)の左翼への安打で1点を返すと、六番・岩瀬が右翼への犠飛で二死一、三塁。続く七番・岡田の遊ゴロを二塁・樋口が失策する間に三塁走者が生還し、2-6に。
霞ヶ浦はさらに7回、一死一、二塁から三番・飯田が一塁戦を破る二塁打を放って2者が生還(この間に打者走者が二塁手の失策の間に三塁へ進塁)、笹島が四球で歩いた後、吾妻の二塁ゴロの間に飯田が生還し、ついに1点差に。横高ファンにとっては、正に前日のビデオを見ているような感覚だったのではないだろうか。
だが、せっかく掴み掛けた流れを霞ヶ浦はミスから手放してしまう。8回、先頭の岡田が遊ゴロ悪送球で出塁すると、続く途中出場の岡本が三遊間を破る安打を放ったが、一塁走者が中継プレーで二塁で刺され、一死。続く石橋は投前に転がしたが、これが山内の前に転がって1-6-3の併殺。これで流れは完全に切れてしまった。立ち直った山内は9回、一番から始まる霞ケ浦の攻撃を三者凡退で締め、ベスト4進出を果たすとともに、翌年のセンバツ出場をほぼ確実にした。
横高は1回戦に続いて薄氷を踏む勝利となったが、この試合に出場していた9人のうち、5人が1年生という構成だった。そのため、経験が少ないメンバーで戦わざるをえなかったの状況だったのだ(夏の経験者がエース・齋藤、捕手で主将の近藤、遊撃・青木、右翼・乙坂。この試合に出場していた1年が、投手・山内、二塁・樋口、三塁・高橋、青木、中堅・拝崎)。それでもここまで勝ち上がってきたのは過去の修羅場経験の賜物だろう。センバツまでにどれだけ成長しているか。


第2試合〜予想外の展開〜
第2試合は、千葉経大付(千葉2位)と浦和学院(埼玉1位)の対戦である。千葉経大付は1回戦で文星芸大付(栃木2位)を下し、浦和学院は秋季埼玉大会を制し関東大会の1回戦はシードされたので、この試合が初戦となる。
(以下執筆中)